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【タワムレガキ】epilogue-世界図書館にて-

その日、世界図書館から一冊の本が消えた。

「終わっちゃったね、ジェリゥ」

大小さまざま、厚さも形も色々な本をいくつも抱えた少女がそう声をかけたのは貸出カウンターに座る幼い少年。半ズボンから伸びた足をまるで大人のように組み、今日はその膝の上に手の平くらい小さくぶ厚い本を呼んでいる。

「そうだね、また一冊分の蔵書スペースが空いた。まあアレは僕の書きこんだ写本だからね、本来あってはならないふたつめの月であったのだもの仕方ないさ」

少女――レリィははぁ、と小さくため息をつき、かつてほんの一時だけ顔を出したあの世界を想う。否、かつてと言うほど昔でもない。けれど随分遠い過去のようだ。あれは夢の先にある願いが具現化したような場所だった。けれど誰の願いだったのだろう。図書館に戻ってきてから写しではない本来の本を読んだ。“彼女”が読むことの叶わなかった先の物語も読んだ。たくさんのひとの願いや考えや野望や、そんな色んなものが絡み合っていたけれど。

(結局のところ、まあ、救いの物語だったわよね)

だけれど消えてしまったあの物語の主人公は、あの救いの物語にあって救われなかった。このあらゆる世界の全ての物語を有する世界図書館の館長であるジェリゥが手ずから写し、行間に、文中に書き加えた少女。彼の何がそこまでのことをしてしまうのか、彼女のどこがそこまでのことをさせるのか。ジェリゥが言うところによれば「物語の余白の妄想の余地が広すぎてね、ほらどこかの世界のどこかの時代に大流行したニジソウサクってやつだよ僕はあの子を萌えで推しで担当で嫁なんだよ」とのことで。レリィにはよくわからなかったし分からなくても構わないのだろう。
そんなことを考えているとジェリゥがそっと立ち上がった。

「ちょっと出掛けてくる」

どこへ、なんて言わなくても。このタイミングならあそこだろうとすぐにわかる。

「言ってらっしゃい。帰ったらお茶にしましょう、チェリーパイでも準備しとこうか?」
「それは大層な皮肉だね。三毛猫の王子でもさすがに泣いてしまうだろうよ」

世界図書館の壁にはいくつも扉が並ぶ。平行世界の様々な場所から迷い込んだ、或いは意思を持って訪れる利用者達がくぐる扉たち、そのひとつドアノブをひねり扉を引くと目の前には雲が立ち込めていた。まるで雲の上を歩くように足を進めると、じき目の前に大きな空色の結晶が見えてきた。
人ひとりを覆い隠すほどの大きな結晶は、良く見れば本当にその内に人を抱き込んでいた。

「来たよ、有翼の乙女。僕の夢、空と海と炎の子。――トトイ」

ジェリゥが目の前に立つと、きらりと光が反射してまるで返事をしたようだ――というのは、少年がそうあって欲しいあまりの錯覚だったかもしれないけれど。

「来たのかよ」

返事。しかしそれは。

「やあ、蒼き炎の乙女よ。今日も女王陛下の守り騎士の如き、或いは名の亡き神の……」
「つらつらうるせえ、何しに来たよ」

蒼き、とジェリゥは言ったが全体的に紅玉石を思わせる色を纏った有翼の女が彼の後ろからゆったりと、けれど鋭い言葉をその喉元に突きつけながらやってきた。

「……失敗したことを、報告しようと思って」

失敗。そう、失敗してしまった。ジェリゥはただトトイの幸せの可能性を探したかった。見つけ出したかった。幸せにしてやりたかった。屈託なく笑う彼女が笑顔のままでいられる世界と生き方を与えてやりたかった。それだけなのに。

「わざわざ言いに来なくたってコイツは知ってるよ。わかってる。ずっと止まらなかった涙がようやく止まったとこなんだ」

薄青い結晶の中で瞼を閉じたままの少女。その頬に涙の跡は見られないが、彼女をずっと見守り続ける守護者たるイヨが言うのだ、間違いないのだろう。

「そうか……泣き続けてたのか」
「別に気にすることじゃねえよ。コイツはいつも泣いてた。この中に入る前から。眠りに就く前から。笑いながらずっと泣いてた。……オレだってそれに気付いたのはココに来てからだしな」

そうか、と答えてそれきり。ふたり並んでこの小さな世界の人柱たる世界の贄となった少女を見る。

*****

トトイは母たる一族の末裔だった。小さな世界の小さな島国。その創世ほどの昔に頂点に立った女帝を始祖とする血を継ぐための一族。交わった雄の優れた特徴をそのまま子に受け継ぐ特殊な女達。その性質により一人目の子供は必ず女で優れた力を持つ男達の性質を次代に継ぎながらただひたすらに子を産まされる器械であった。その能力は二人目、三人目と子を多く成せば成すほどに有用であったのは想像の通り。頂点たれたのもほんの一時代、すぐに己に自信のある男達や様々な種族に奪われ争われていった。
そうして時代が流れた先、その能力故に身を隠すように小さな村にひっそりと暮らしていたトトイの母が娘の種に選んだのが翼をもつ、島にとっては異形の男。橙にも見える茶色の髪と空と海の境をそのまま切り取ったような瞳。空の王者たる立派な翼。そして胸の内に燃える神聖な炎。トトイはそれらをひとつの差分なく受け継いだ。故に異形と蔑まれ虐められた。その末に海を渡り父を求めた。後に再婚を果たした母が、けれどトトイ以外の子を成さなかったことは知らぬまま。
その後の物語は蛇足であろう、恋をした。子は成せなかった。父と同じ一族の従妹に――イヨに会った。それは母の名であった。恋は破れた。世界の、時代の流れは彼女と恋人を平穏に過ごさせてはくれなかった。その内にトトイの身体に異変が起きる。長く継いできた異様な母たる血を、父から継いだ神聖な炎が受け付けなかった。反発しあう力は少女の身にはあまりに大きく、いつしか眠ることしかできなくなった。永遠の眠りの病。外見の年齢を押しとどめたまま彼女は眠り続けた。
そんなひとりの少女のなんでもない物語を、どうしてだかジェリゥは放っておけなかった。だから手を出した。トトイが眠らなくて済むように過去に干渉した。けれど失敗した。仕方がないので眠った少女を荒れ狂う火山島で出来たこの世界に連れてきて、生贄とした。彼女を守護する剣たる従妹と一緒にこの地を護らせた。しかし眠り続けるトトイを、やはり幸せにしたくてもう一度手を出した。――その、結果が。

「難しいね。恋をするために生まれてきた乙女が恋をすることで不幸になる運命だとは」
「だからいいんじゃねえの?」
「……どういう?」

ジェリゥは隣のイヨを見上げる。

「争いの火種にはならねえだろ」

それは母たる種の否定。どこかで逆らいたかったのかもしれない女たちの、最後のひとりに寄せられた皺。
ジェリゥは思う。そうかもしれない。けれど大きく立派な屋敷のひと部屋、がらんとしたその中央で床擦れをさすることもなくぼんやりと夢現の境界にとろけていた少女を思い出すと素直に肯けない。その翼の半身はすっかりと歪んでいた。

「争いに巻き込まれず、平凡な恋をするルートがあってもいいのにね」

その祈りが叶う日は来るのだろうか。それは総ての物語を読むことのできるジェリゥにも分からなかった。

タワムレガキ―トトイの話―

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