十夜・叡智の精霊


メルメの指示の元、再び中庭に戻った一行は地面いっぱいに陣を描き始める。
「獅子の、そこはヒーレイクのジェレ紋を三つ、北から北東に向かって三十度に収まるように並べろ。恵みのは中央にティグラードの解とラットイトテレスの解をレセティルの式に従って割り出して南にクロスだ。使うのは山羊の角の削り絵の具だぞ」
話を聞くだけでもひどく大掛かりになりそうなことがわかった時点で他の人間にも手伝ってもらいたいとオリヴィアは申し出たが、すぐに却下された。
「魂を扱う術は純度の高いものだから、あんまり大勢でわらわら群がって気が混濁してしまえばいくらフラムの子孫がいるとは言え失敗の確率が高くなる。陣を描き、媒体を準備する時点でもう術式は開始してると思え。オレはお前らの気の流れや性質、強さも計算に入れて術を組み立てたんだ。黙って言われた通りにしろ」
今までにないほど真面目な顔でそう言われては反論もできない。見かけはたかだか十三ほどの少年なのに、どうしてこうも存在感が強いのだろう。
「セラティヤ、準備はいいか」
「お願いだから名前呼ばないでよメルメルに呼ばれるとカラダ中がなんかこう、びりって痺れて気持ち悪くなるんだから」
「それだけオレの力が強いってことだしそれ程の力の持ち主はそうはいねえぜ、むしろありがたく思え」
契約なし、命令なしに名前を呼ぶだけで従属させる、それは確かにそうそうできるものではない。呼ばれた方にはいい迷惑だけれども。
「よし、最後に外円を三重、サファイアとダイヤモンドの粉で囲めば終了だ。獅子のは休め。今ので力の半分くらい使っただろう。恵みのは銀のに回復してもらえ。銀の、魔力体力その他もろもろ、術式による移動に必要な最低分まで回復させてやれ」
どうやら中庭いっぱいを使った陣は描き終わったらしい。ここまでで既に五時間。タイムリミットは少しずつ近付いている。焦る気持ちを抑えながら、リュミナスはエルゼリオに手をとられ、じんわりと身体をつつむ暖かさに身を任せていた。
「こういう力を持ってるからお前実技の成績は悪いくせに精神力だの持久力だのの項目だけ異様に点数高かったんだな」
「やだな。それはもう個々の性質レベルの話で僕の血とは関係ないと思うよ」
「いや、絶対そうだ。くそ、根競べで勝てなかったのもそのせいだな。次の実技テストの前に今みたく力わけてくれよ。そしたら今度こそ、絶対負けないからな」
次の、と言った。それは約束。フランチェスカの血を引くものはその身を明かせば大概が畏怖や行き過ぎた尊敬の気持ちから孤立させられるか、その力を利用されるかのどちらかしかないと言い聞かせられてきた。そんなことはないと信じたい気持ちの中、けれどもしかしたらと不安になっていたのも事実。だから今までオリヴィアにもリュミナスにも言えなかったのに。
「簡単に受け止めてくれるんだね」
「なにが」
「僕がフランチェスカの血を引いていることを」
二人もまた、自分から離れてしまうのではないかと恐れた。異質な強すぎる力から逃げる様に。それなのに目の前の友人は、次の約束を勝手に取り付けようとしている。
「そりゃまあすごいなとは思ったし、多分本当はこんな風に話せる相手じゃないんだろうとも分かってる。でも別にだからどうしたって感じなんだよね、なんだか。先にメルメ師が現れちゃったからかな、全然びっくりでもないし、むしろ納得した部分の方が大きいよ。オリヴィアも多分同じじゃないかな」
なんでもない顔で、そう言うのだ。きっと心の中ではもっと色々考えているんだろうことはリュミナスの表情を見ればすぐに分かる。でも少なくとも言葉ではそう言ってくれるから、大丈夫と信じられる。エルゼリオは本当に嬉しそうに微笑んだ。
「そうだよね、先に師が現れちゃね。フランチェスカの名も薄れるよね」
くすくすと笑うエルゼリオは、今までと同じで柔らかく、けれどどことなく肩の荷が降りたようなすっきりとした雰囲気を漂わせていた。
「こらそこ和んでんじゃねえよ体力回復したならとっとと来い! ああこら逃げるなセラティヤ!」
遠くからメルメの呼ぶ声がする。セラティヤは何度目かの脱走を図ったが、やっぱり失敗してしまったらしい。名前を呼ばれてその場に崩れ落ちる。
「よし、がんばるか」
「うん。がんばって。大丈夫だよ。強い気持ちには強い力が込められる。だから愛はこの世で一番強い力だよ」
「はは、エルゼリオに言われたら、なんだか本当みたいだね」
本当だよと最後にもう一度ぎゅっと手を握られ、力だけでなく勇気ももらった気がした。
「行ってらっしゃい、リュミ。大丈夫。僕が君たちを死なせたりしないから」
「心強い加護をありがとう、エル」
振り返り、中庭の中央へ。そこにはメルメとセラティヤが、コートニーを真ん中に寝かせて待っていた。視線だけ振り返ると、隅の方でエルゼリオがオリヴィアを介抱しに近寄っているのが見えた。
「よし、準備はいいか恵みの」
「いつでもいいですよ。むしろ早く助けたくて仕方がない」
「セラティヤもいいな」
「だからお願い名前呼ばないでもう逃げないからオッケーだから準備」
逃げ腰のセラティヤの長い腕を取って、メルメは言う。
「こいつは腐ってもサチュラの加護持ちだ。使役のひとつだからな。お前ひとりだと犬のところまで辿り着けないかもしれんが、蛇のがいれば迷うことなく行けるはず。犬のはきっとサチュラの庇護の下にいるだろうからな。魂の世界は現実世界とは違ってなにもない。だからって自分まで無くすなよ、死んじまうからな。犬のを見つけたらどうにかしてそのまま連れて帰れ。帰り道は銀のがお前らの足跡を辿って作る手筈になっているから大丈夫だ。なにか質問は」
「どうにかしてって、どうにもできなかったらどうするのさ」
「それで納得できるなら諦めて帰って来い」
「……わかった」
どうにかできるまで帰ってくるなとそう受け取ったリュミナスは、メルメに言われたとおりコートニーの手を握ってすぐ傍に跪くように座る。その反対側にセラティヤが面倒くさそうに座り、コートニーの足下にメルメが立つと準備は完了。
「五分ほど目を瞑ってろ。オレがすぐに世界を移動させてやるからよ」
両手を祈るように合わせて言霊を紡ぐと、陣のあちこちに散らばり置かれた大小さまざまのサファイアが、深い闇色に蠢きはじめた。

***

辺りが静かになる。そっと閉じていた瞼を開くと、真っ青な闇が広がっていた。眼を閉じるより暗い闇なのに自分の身体がはっきり見えるのが不思議だ。
「ちゃんと来てるかい、おにーさん」
背後でやんわりとした声がしたので振り返るとセラティヤが逆さまに立っていた。闇の中でやはりいやにはっきりとその姿が見える。
「大丈夫? 気持ち悪くなったりとかしてなーい?」
「ああ、大丈夫。……ここが魂の世界なのか」
「んー、というか厳密に言えばサチュラの空間だね。気合が入りすぎたのか、フランチェスカの加護なのか、僕には判断ができないけど、それでもここは魂の世界から繋がるサチュラの領域」
そう言いながら、ふわりとリュミナスの隣に立つ。まるで水の中のような動きだ。
「魂は好きに動けるし、好きに姿形を変えられるんだよ。メルメルなんていい例じゃない。本当の姿は僕もしらないけど、前に会ったときはあんなカワイイ姿じゃなくって、もっとすらっとしたかっこいーいおにーさんだったよ。ふふふ」
楽しそうに笑って、じゃあ行こうかと歩みを進める。
「メルメルに名前を縛られてしまったからね、僕は責任もってキミを姫の元まで送り届けなけりゃならない。サチュラの意思に背くことはしたくないしできないんだけど、こればっかりはねー」
けれど困った様子は欠片も見られず、リュミナスは素直にセラティヤの後ろを付いてゆく。足下がおぼつかない。ふわふわとしてまるで質のいいベッドの上を歩いているみたいだ。
「ねえセラティヤ」
「セラって呼んでー。フルで呼ばれるのは嬉しくないんだ」
「セラ、君はどうしてメルメ師に蛇と呼ばれているんだ」
「なあんだそんなこと。僕の肌をよく見てみるといいよ」
差し出された腕はよくよく見れば湿った鱗に覆われている。
「なるほど、蛇か」
「性質がね。創られた時に使われた材料に蛇かそれに類するモノがあったんだと思うよ」
そこまで言ってしゃらん、と金の腕輪を鳴らして前を指す。
「ああほら、アソコ。見てみなよ闇が深い。姫はあそこにいるよ。気配があるもの」
見れば紙に一滴インクを垂らしたように滲んだ空間がある。ほんの一瞬躊躇したが、すぐに滲みに飛び込んだ。入ってみればそこは暖かで柔らかい光に包まれた、海の底のような青い空間だった。その空間の真ん中、探していた少女が立っている。
「コートニー!」
名前を呼ぶと、コートニーはびくりと弾かれるように振り向いて、泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「リュミナス……っ」
縋り付くように抱きついてきた小さな少女を、強く近く抱き締める。今はお互いに魂だけの存在であるはずなのに、実感としてある身体がもどかしい。けれどその身体を確かめるように触れる内、それまでと違う感覚に気づく。
「コートニー、元に……」
戻っている。耳も、尻尾も、手も足も。獣の名残がなにもない。どういうことかと戸惑っていると、聞き覚えのない声が耳に突き刺さってきた。
「世界がふたりだけで構成されていると思っているなら、すぐにその考えは改めた方がいいわ。そんな風に抱きあわれてしまったら、ヒィムはどうしたらいいのか困ってしまうのよ」
幼い少女のような声。慌てて声のした方を向くと、掌に乗りそうなほど小さな少女がリュミナスの目線と同じくらいの高さに座っていた。
「こういう形でヒトに会えるとは思っていなかったわ。改めて初めまして、リュミナス。コートニーはあなたを一生懸命呼んでいたの。もう、ヒィムはときめきが止まらなかったわ。愛って美しいものね」
くすくすと、まさに鈴の鳴るような声で笑う少女はとても美しい。その白い肌を後ろから掴む無粋な手は、土色。
「叡智の精霊エロヒィム、キミは一体なにしてるのさ。ここまで連れて来ておいてサチュラの元へまだ連れて行っていなかったのかい」
「あら、使役のくせに精霊を素手で掴むだなんて、相変わらず礼儀を知らないみたいね、セラティヤ。それにここまで人間を連れてきたあなたに言われたくないわ」
「キミもメルメルに名前を呼ばれれば同じことをするって絶対」
「そうね、アリオット師には逆らえないものね」
二人で視線を合わせて溜息をひとつ。性質こそ違えど、二人ともサチュラに従属する存在であり、二人ともメルメの力には遠く及ばない。
「でも時間がかかったのは仕方がないと思うのよ。だってコートニーから余計な獣の性質を抜き取るのに随分苦労したのだもの。まったく、だあれ? こんなややこしい性質を大切な姫候補に埋め込んだのは」
小さな少女、エロヒィムの視線を追うと、小麦色の毛をした子犬が人懐っこくセラティヤの足下にじゃれていた。精霊の話し振りからすると、どうやらコートニーにかけられた術の獣の性質らしい。魂レベルの純度にしても苦労するほどしっかりと性質が植えつけられていただなんて、正攻法では解けるわけもないではないか。
「じゃあこのまま帰ればコートニーは完全に元に戻れるってことかな」
獣の性質はエロヒィムが取り除いてくれたようだし。そう言って帰ろうとすると、エロヒィムが驚いたように声を上げる。
「ちょっと待ってよ。ヒィムがコートニーから獣の性質を取り除いたのは、コートニーが姫候補一番だからなのよ。そりゃあ愛する二人を引き離すのは心苦しいけれど、でもこればっかりはサチュラの意思なのだもの、黙ってみすみす帰らせるわけにはいかないわ」
「そこをなんとか見逃してもらえないだろうかね、世界の知識を保有する青の君。第一コートニーは候補の一人というだけなんだろう、他の候補から選んでもらえないものだろうか」
「そんなことを言われても、選ぶのはスリィジアとサチュラだから、ただの従属のひとつでしかないヒィムにはどうしようもないわ。ヒィムはただ、サチュラの意思のままに動くだけなのだもの」
それほど困ったようではない顔で、困ったような台詞を言う。宝石ビナーと同じ色の髪が傾げた首に纏わり付くように流れる。
「コートニーの意思は、そこに汲み取られないのかい」
腕の中の身体が自分の名前を呼ばれたことに小さく反応する。
「星の姫というのは星霊が独断で選び、候補となる少女にはなんの選択肢もないものなのだろうか、ねえセラティヤ」
「え、そこで僕に聞くの」
「星霊の使役なのだろう、君は」
「いやまあそうだけどサチュラの姫が選ばれるのって他の星霊の姫が選ばれるよりずっと回数少ないし期間がおっそろしく短いしそもそもエスコートするのっていつも鳥さんだから僕よく知らなくて」
「鳥さんってそういえば何度か言っているよね、一体誰なの」
「サチュラに従属する使役の一番、サチュラの溺愛の君だよ。きびしくてきついくせにサチュラの扱いが上手いからいつだってお気に入りの一番なのさ」
そういえばサチュラを象徴する動物は鳥、特にカラスだ。なるほどそういった理由もあるのかもしれない。
「でもそうだよねえ。オンナノコの意思を尊重しないってよくないねー。いやいや姫になってもらったところできちんとお勤め果たしてもらえるかもわかんないっしー」
「じゃあコートニーが拒否すれば、もしかしたら星の姫の役目に就かなくてもいいかもしれないのだね」
「え、いやちょっと待ってわかんないって。これあくまで僕の考えだもの!」
ここぞとばかりにたたみかけようとしたが、さすがに難しいようだった。このままでは睨み合ったままで終わってしまう。どうしたらいいだろうか、ただ焦るばかりで状況を変える切り札なんてなにも持たずに来てしまったことを今更後悔する。メルメにもなんとかしろとしか言われなかったし――
「わたし、なってもいいのよ。星の姫っていうのに」
少し震えた、けれどはっきりとした言葉にどきりとして抱きしめたままの少女を見下ろす。
「どうしてそれを、わたしは断らなくちゃいけないの? それで、みんな解決するならそれでいいじゃない」
「コートニー、君は星の姫になるということがどういうことか分かってそれを言うのかい」
「聞いたわ。スリィジアと、サチュラの為に身も心も捧げて働くのでしょう。そして次の、別のひとが星の姫に選ばれたら、殺されるかもしれない、そのまま永遠に飽きられるまでお使いをし続けることになるかもしれない、それでも、いいの。それくらい、わたしの全てを必要とされるなんて、嬉しいことだと、思ったの」
涙を零すまいと背をぴんと伸ばして立って、そう言うのだ、この少女は。小さな不運を全部背負って、誰にも頼られず求められず愛を与えられずに育った少女は、神や星霊に必要とされることをどんなにか大きな幸運と受け止めただろうか。
「でもだからって、そんなこと。選ばなくてもいいじゃないか」
ほんのひと月にも満たない時間を共有しただけのこの気持ちを伝えたところで、この少女なら気のせいだから忘れてとでも言い放ちそうだ。そんな振られ方、情けないなんてものじゃない。
「もっと考えてみなよ。君の今までの世界はあまりに小さかった。もしかしたらこれから広がる世界では、スリィジアよりサチュラより、君を必要とする人間がいるかもしれないじゃないか。その可能性を君は、殺してしまうのか、ここで、こんなところで」
一時の気の迷いにも似たこの感情が恋でなければ、この世界に愛なんてないんじゃないか。
「俺は、君にこれからも一緒にいて欲しいよ」
この気持ちがすぐに冷めてしまうような恋にも満たない感情なら、本当の恋なんて死んだって見つけられそうにない。だって今だってこんなに身体中が痛くて痺れて、生きていられないくらいなのに。
「リュミ、ナス……?」
抱きしめることでこの鼓動が伝わればいいのにと思いながら強く強く、小さな少女を抱きしめる。コートニーは驚いたようにその抱擁を受け止めていたが、なぜだろう不思議と苦しくない。こんなに強く抱きしめられたら息が出来なくなってしまいそうなのに、そんな事は全然なくて、けれど胸ばかりがひどく痛い。
「わたしが星の姫になったら、リュミナスのそばには、いられないの?」
消えてしまいそうな独り言にも似た問いに、幼い少女の声が答える。
「星の姫はその役目を受けた時から星の神と星霊の為だけに生きるのもの、ただ一人の人間とずっと傍にだなんて、いられないのよ、コートニー」
綺麗に澄んだ声が耳に染み込む。一人でこのなにもない空間に放り出されて泣いていた時、そっと近付いて慰めてくれた優しい声。
「ヒィムは愛する二人が好きよ。愛する者同士は一緒にいるべきだと思うわ。ねえコートニー、選べるなら、あなたはどちらを選ぶの?」
その為に生まれ、命を与えられたときから必要とされた尊い役目と。ほんの短い間に偶然生まれたささやかな感情が求める、なんでもないどころか壊れるかもしれない小さな幸せと。
「わたし、わたしは……」
困って目を閉じる。一人だけの暗闇の中、額の辺りで金属の擦れる音がした。
(リュミナスの付けた宝飾かしら)
そっと目を開くと、うすぼんやりと淡く赤い光が小さく輝いていた。
「え、なに、なあに」
「わ、なにが光って、え、ルビー?」
それはオールドシルバーの台座に小さく座った美しいルビーのペンダントだった。
「ルビーって、まさか、エウハ?」
エロヒィムが驚いたように呟く。エウハ。その名前は。
「エウハってまさかティフェレトの? でもこのペンダントはただの安物で市場で掴み取りで買ったようなものなのに」
セフィロスシリーズ、ナンバーは六。炎のような赤さを持つルビー、その名前がティフェレト。そしてその宝石に封じ込められた精霊がエウハ。生命の美を司る、美しき精霊。
「混ざってたんだろーうね。もうホント、どこから見つかるかわかんないのがセフィロスシリーズだもん。知ってた? ダイヤモンドのネツァクなんて田舎の窓ガラスに使われてたって話」
あははと笑ってセラティヤがとんでもないことを教えてくれた。
「セフィロスシリーズはどれもが元は美しい宝石、だけどその魔力はよほどの力の持ち主じゃないと気付くことすらできないくらい巧妙に封じられている。祖フランチェスカのすごさを物語ってるよね」
それにしたって、とリュミナスの胸元で光る赤い輝きを見つめたまま、言葉を繋ぐ。
「エウハが出張るなら僕にはなにもできないや。僕いち抜けね、傍観に徹するわー」
「ヒィムも抜けるわ。精霊だけの話ならヒィムの方が断然強いけど、星の関わりが加わるとエウハには敵わないもの」
エロヒィムが封じられたサファイアは凶星サチュラの従属。一方でルビーが従属するのは美星ヴィヴィ。サチュラよりも上位に据えられた星だ。星の関わったこの問題で、エロヒィムがエウハに逆らうわけにはいかない。
「ねえコートニー、ヒィムは考えるの」
赤い光は淡く点滅したまま、静かに現状を見守っているようだった。
「どうせなら、みんなが幸せになる道を選んだ方が、後で後悔したってやっぱり楽しいと思うのよ。そして今あなたが選べる道で、よりたくさんのヒトが幸せになれるのは、星の姫の役目を拒否する方だと思うの」
「え、ちょっと。それ言っちゃうの、エロヒィム」
「言っちゃうの。だってヒィムも愛し合う人間は好きだもの。エウハだってそうよ、愛し合うのに別れなくちゃいけないなんて許せないって、そう言いたくてああやって自分の存在をアピールしてるんだと思うのよ」
その通りといわんばかりに赤い光が強く光る。その光を見て、コートニーは最後にもうひとつ、聞いてみようと思った。
「わたしが星の姫になるのがいやって言ったら、ふたりは、困る?」
幼い子供が親の機嫌を伺うように尋ねる様子に、エロヒィムもセラティヤも、応えて優しい微笑を返す。
「僕らが困ることなんて、君の悲しい顔を見せられるより全然なんてことないよ。そりゃちょっと怒られるかもしれないけど、まあどうとでもなるしさ。星の姫は他の候補の子に当たればいいしね」
「ヒィムは従属してるとはいえ、正直サチュラよりも強いもの。全然平気よ。サチュラはヒィムを強く怒れないから」
本当は、言うよりずっと大変なのかもしれない。それでもその優しい笑顔に甘えてもいいかなと思ってしまった。だから笑って、しっかりと言い切った。
「わたし、星の姫はやりたくないわ。リュミと一緒に、ずっと一緒にいたい」
その言葉を聞いて、赤い光は静かに消えていった。満足したらしい。そしてその光の持ち主は改めてコートニーを強く抱きしめる。
「わ、わ!」
「言ったね、コニー。嘘でしたなんて言われても、俺は君を離すつもりはないよ」
「うん、嘘じゃないけど、離さないでいてくれたら、嬉しいな」

幸せそうな恋人達を横目に、セラティヤとエロヒィムはこそこそと言葉を交わす。残念ながら愛の言葉ではないけれど。
「ところでどうしようかサチュラにどう言い訳しよう。姫が一番の候補だったのに」
「そうね、星の姫となるには致命的な要因があればいいのよね」
「チメイテキなヨウイン」
「馬鹿みたいに繰り返さないでちょうだい。ほら、あなたの足下をしつこいくらいじゃれてるそこの子犬を貸して」
「え、どうするのこの子僕欲しいんだけど」
「致命的な要因に変換するのよ、残念だけどあげられないわ」
自分よりずっと大きな子犬の上に座り、そのままコートニーの元へ行く。
「コートニー、星の姫であることを放棄するかわりに、一生背負わなければいけない枷があっても平気?」
足下から声をかけられ、コートニーは屈んでエロヒィムに視線を合わせる。そして、しっかりと頷いた。
「なにもない方が不安になるわ。神様から罰を受けると思えば、なんでも受けられるわ。……死んじゃったりするのは、いやだけど」
「ふふ、そんな罰はサチュラが与えようとしたってスリィジアもヒィムも許さないわ。そんなんじゃないの、もっと可愛らしい罰よ。ただ、本来の目的は叶えられないけど」
いい? と最後にもう一度確認すると、やっぱり素直に頷いた。この素直さが可愛らしくて助けたくなるのよねと思いながら、エロヒィムは子犬とコートニーの魂を繋ぎ直しにかかった。