終夜・獣の耳を持つ少女


「あ。帰ってくる」
リュミナスとセラティヤの魂を送り出して、半日。コートニーが気を失った時間を考えればもうタイムリミットになる頃、陣の北端に描かれた三角の模様にじっと触れていたエルゼリオがふと声を漏らした。
「帰ってくるって、リュミナスが? コートニーも一緒?」
その隣でオリヴィアがそわそわと訊ねる。エルゼリオはしばらくじっと黙っていたが、微かに唇が笑ったのが見えてほっと息を吐くことが出来た。
「一緒なのね」
「ああ、リュミもコニーも、ついでにそこのセラさんもね」
顔を上げて陣の中心を見ると、一瞬ふわりと青い光が三人を照らした。そしてゆっくり、コートニーの瞳が開かれるのが遠くからでも見て取れた。
「コートニー! リュミナス!」
時間を空けずに起き上がったリュミナスを確認もせず、二人に飛び付いたオリヴィアは、コートニーが初めて見る年齢相応な少女の姿だった。
「よかった、よかったあ。すごいわ、こんな高度な術が成功したなんて、しかもそれをこの目で見られたなんて」
「オリヴィア、喜ぶべきはそこなのかい」
「冗談よ、ちゃんと帰ってきてくれて嬉しいわ、リュミナス。それに、お帰り。コートニー」
「うん、ただいま、オリヴィア」
泣きそうなオリヴィアと、すっきりしたような笑顔のコートニーがそろりそろりと抱き締めあう。
「ねーえちょっと誰か僕のことも労ってよ僕もがんばったんだよ一応」
「どうせ場をかき回してきただけだろう」
「うわあヒドイやメルメル」
感動の再会もあったものじゃない。けれどそのやり取りすらとても楽しそうだから皆放っておくことにした。
「じゃあ帰ってきたところで、今度こそコートニーを元に戻す術式を完成させないとね。まだ途中までしか組みあがってないんだ」
ゆっくりと近寄ってくるエルゼリオに、ああそれはもういいんだとリュミナスが答える。
「ほら、手も足も、もう人間のそれに戻ってるから」
「でも耳と尻尾が残ってるわ。このままじゃ人間種とも人間外種ともつかない半端な存在のままよ、いいわけないじゃない、ねえコートニー」
女の子には大問題よとオリヴィアがまくし立てるけれど、コートニーはふわりと笑って首を横に振った。
「ううん、いいの。これは、わたしの意思でつけた枷なの。それに、これくらいなんでもないわ。もう耳も尻尾も慣れたし、これっくらいでリュミの傍にずっといられるなら、全然困ったことじゃないもの」
コートニーの幸せそうな笑顔と、リュミナスを呼ぶ愛称につられて笑いそうになりながらオリヴィアはなおも詰め寄る。
「ねえどういうこと? 向こうでなにかあったの?」
それが純粋に事象を把握しておきたいという研究者然とした興味からなのか、色恋の雰囲気を嗅ぎ取った少女特有の興味からなのかは追求しなかったけれども、やんわりとリュミナスに断られた。
「それはまあ、その内にゆっくりとね。今はとにかく休ませてよ。俺もコニーも、疲れたんだ。普通の人間であることを身体全部で味わいたいよ」
「耳と尻尾は、普通じゃないけどね」
なんだかよくわからないけれど、幸せそうな二人を見ているとああこれでいいのかと思えてくる。
「これでめでたしめでたしなのかしら」
「それでいいんじゃないかな。幸せな二人はいつまでも永遠に仲良く、と締めくくられる御伽話みたいにね」
それはお前らもなのかと目線だけでメルメが訴えているのにも気づかず、エルゼリオとオリヴィアも二人で寄り添ってコートニーとリュミナスの背を見送る。
「一人身は寂しいねー、メルメル」
「黙れ蛇の。それよりお前ちょっと手伝え。やりたい研究ができた」
「えええちょっとメルメル年齢考えるといいよ。もう隠居しちゃえばいいのに」
「魂に年齢なんて関係ねえからな。それに発動条件がそろってるのが今だけなんだ、そこに転がされたビナーとあと獅子のを引っ張ってついてこい」
メルメが千年ぶりに魔術書に名を残すのはこの数日後の出来事。オリヴィア・ライオットの名が初めて歴史に刻まれることとなった『魂の交換術』の律考案をしたと書かれたのを皮切りに、その後数十年分の歴史書や魔術書には、オリヴィアとメルメの名前がいくつも並んで記されたという。
その一方で、フランチェスカの一族の名は決して表に出されることはなく、ただオリヴィアは精霊のように美しい伴侶を持ったと彼女の伝記に書かれた程度。そしてその影でひっそりと慎ましやかに、幸運なる青年と凶運なる少女が末永く幸せに暮らしたことは、ただ神のみが語り継ぐ話となったのだった。