16「何気ない言葉が人を傷つけるんだね」


思ったよりもずっと早く目的を達して戻ってきたコートニーとリュミナスを驚いて迎えた3人は、それまで行っていた術の解読を放り投げ、メルメ指揮の下、精霊エロヒィム召喚の術式を立ち上げ始めた。
「いやしかし星の加護があるとはいえ一年経たずに見つけて帰ってくるとは。流石のオレでも計算外だったな」
リュミナスの差し出すサファイアの大剣を細い指で撫でながらメルメは感嘆の声を漏らす。
「……これを手に入れるときに変わった奴に会ったよ」
「変わった奴?」
「蛇の肌を持ち一族の名がないという少年。……気に食わない奴だった」
「あーあーはいはい。セラか。あいつまーだ生きておったかそれともオレみたいに魂か」
やはり知り合いだったか、と呆れたような目でメルメを一瞥してリュミナスは「この剣はどこへ」と訊ねる。
「ああ、剣は【媒体】だからな。オレに」
片手を差し出す。リュミナスは少し躊躇いがちにその手に剣を置く。
「ぬわっ!!?」
「……大丈夫?」
「お、重い…な、これ……お前ようくこんな重いものを片手で軽々と…表情も変えずに…」
ようやくにして表情が歪むその様。申し訳ないと思いつつも(勝った…)と心の内で思う。
「一応鍛えてるしね。これ位の武器片手で持てないと俺倒れるってすぐ」
言いながら己のマントを開く。
マントの下、腰や腕、太腿に多く着けられたホルスター。それらには数え切れぬほどの短剣やナイフ、珍しい短銃やボウガンなどが装着できるだけされている。
「……なるほど。何でお前は魔術師をしているのか不思議でならないな」
「それさり気に俺才能ないって言われてるのかな」
「さり気なく聞こえたか? それはすまないな。はっきり言ったつもりだったのだが」
口の端だけで笑うと、メルメは両の手に抱えた大剣に視線を巡らす。値踏みをするような、瞳。
「さあ、お前も手伝え。やることはまだ多くある」

陣を敷き詰めるのは今度は西の塔のその地下。薄暗く石造りそのままの地下室にペンキを塗り重ねるようにいくつもの模様や図柄、呪文が描かれていく。
「あとはその端に【ルーウズの紋】を描けば【陣】は完成だ。犬の耳の乙女は此処へ。銀のは外へ行け。当てられるぞ」
「……わかった」
「私とリュミは?」
「あーうん【陣】を走る魔力を切らなければどこへでも好きな位置に。別に銀のと一緒に外に出てもいいぞ。オレ1人でも発動は可能だからな」
その言葉を聞いて、オリヴィアは少し躊躇った後にエルゼリオと地上へ登る階段を進んでいった。
2人並んだ背中を見送り、リュミナスは部屋の中央に佇んだままのコートニーの側に立つ。
「リュミは、行かないの?」
「行って欲しい?」
「…………居て、欲しい…」
犬の耳が小さく垂れる。
そんな2人のやり取りを横目で見ながらメルメは呆れたような溜息を漏らす。
「まあったく若いモンは場所を考えずにいちゃつきおって。ほれ、邪魔だ邪魔だ。あと東に3ミリずれろ」
そう言うと、メルメ自身も己の定めた定位置に立ち、両手で勢い良くサファイアの剣を振り上げる。
「ちょ、何を…っ!?」
止める間もなく、動くことも儘ならず。
キィン、と澄んだ音をさせてサファイアは剣の姿を崩す。
「うわああああすごくいい品だったのにいいい」
「五月蝿い」
リュミナスの声はメルメの冷たい声に一喝される。
「武器馬鹿というかウェポンマニアというか」
「どっちも同じ意味じゃないかあ……」
「どちらにせよ性質が悪い。その内あんまりに馬鹿が過ぎると犬のにも嫌われるぞ」
この言葉には反応はなし。否。あるにはあるが言葉としての反応はなく。
「メルメさーん。リュミが崩れ落ちました」
「放っとけ。勝手にダメージ受けさせておけばよい。【陣】だけ崩さぬようにな」
冷たい、と消え入りそうな声で呟くリュミナスを見てコートニーも呟く。
「何気ない言葉が人を傷つけるんだね」
「絶対何気なくないからメルメ師の言葉は……」
切なげな言葉のやり取りを制したのは無論メルメ。
「五月蝿いと何度言えばよいか。そろそろ呪文の詠唱に入ってよいかね」
その言葉にようやく口を閉じた2人に流れるような視線をやった後、メルメは砕けたサファイアの欠片に手をかざし、やはり聞き慣れない言葉がその口から零れ流れる。
(精霊女王を呼んだときの呪文に似ているわ…)
けれど今歌うのはただ一人。
それほどにも彼の力は強いということ。
「さあ、おいで。幾程ぶりだろうね、エロヒィム」
メルメの声に反応し、不意に浮かび上がった幼い少女に似た人影。
『お久方ぶりにて。ようやくにして開放していただけて嬉しゅうございますわ』

名前を持つ高位精霊の1人。生命と知恵を司るエロヒィム。
2度目の精霊との遭遇は、犬の耳を持つ少女にとって運命の瞬間。