14「この世界で、貴方だけが私に近い」


コートニーとリュミナスが旅立ってから数日が経った頃。
ふいにメルメが叫んだ。
「あーもういい。疲れた。今日はヤメにするぞ」
その言葉に一瞬の間をおいて反応したのはオリヴィア。
「何を言っているのよメルメ。今日ってまだ昼にもなってないじゃない」
「五月蝿い。やめはやめだ。いつまでも部屋の中に篭ってちゃ気が滅入るだろう。偶には日の光の下に出ないと人間精神が病むぞ」
「魂だけの貴方が何を言って……」
「違う。お前だ」
軽く、オリヴィアの額を小突く。と。
「な、きゃあっ!?」
視点が、くるりと揺れて、気がつくと視界には天井。と、見下ろすメルメ。
「ほれ見たことか。精神が肉体までもを蝕む」
抵抗する体力もなく、オリヴィアは床に倒れたまま。
「……ヴィア、大丈夫?」
メルメが消え、エルゼリオの心配そうな顔。
見つめていると、オリヴィアの瞳から涙が零れだした。
「ヴィア!?」
「悔、しいー……っ」
はらはらと流される涙が変える床の色を見ながら、メルメは1つ、溜息を吐く。
「体力が戻るまで、作業は中止だ。いいな。隠れて再開したってオレには分かるんだから、無駄なことはするな」

「もう、こんなことしてる場合じゃないのに……」
泣き腫らした赤い瞳。ヴィアの緩やかな髪を梳きながらその瞳を冷たい指で覆うエルゼリオ。
「落ち着いて、ヴィア」
「落ち着いてるわよ十分すぎるくらいねっ!」
「そうじゃなくて」
困ったように笑いをこぼして。
2人はオープンテラスのカフェの横に広がる芝生の真ん中で陽の光を浴びていた。
カフェでは彼らの知っている顔から知らない顔まで様々の顔がちょうど昼時のランチを楽しんでいる。
「気を張りすぎると、疲れるよって。頑張るのは良いことだけど、根を詰めすぎると身体に悪いのは本当だよ。偶には休まないと」
優しく言って、オリヴィアの頭を両手で抱えるとぽふり、と自分の膝へ落とす。
「きゃ!?」
なにを、と瞳で訴えるオリヴィアのその瞼を無理矢理閉じさせ、額に唇を落とし、囁く。
「あまり無理をしないで、ヴィア。君が頑張ってもがけばもがくほど、僕は君の苦しい顔に心を痛めてしまうんだ」
あの時だって、と呟いて顔を離す。
「あの、時?」
言葉にして、一瞬の後悔。
「僕は、君のためなら何だってするつもりだったけれど、力不足ばかりはどうにもならなかった」
「でも、あれは……!」
「そう、あれは今までに誰も到達し得なかった領域。【生体交換】なんて、よくも思いついたよね」
「【生物変換】を研究していれば出てくる発想よ。変換をするよりもずっと簡単でエネルギーも比較的少ない」
それなのに、とまた、その瞳が潤む。
「それすらも上手くいかなかったのだもの、【生物変換】なんて、上手く行くはずがなかったのよ」
エルゼリオはまた、ふっと笑うと「大丈夫だよ」と囁く。
「失敗したと言うけれど、コートニーという存在が生まれた。それは不幸だったかもしれないけれど、見方を変えればあれだって成功の一例だったよ」
目尻のアイラインを消さないように指で柔らかになぞり、言葉を繋げる。
「それに今はメルメもいる。僕もいる。コートニーに付いて行ったけれどリュミだっている。精霊女王を召喚できた実績もあるのだから、大丈夫だよ」
「そんな大丈夫は、いらないわ」
真っ直ぐに見上げる瞳におや、と首を傾げる。
少し頬が赤く見えるのは陽の暑さの所為だろうか。
「確かに、皆力強い存在でありがたいわ。でも、でもね、エル。私が欲しいのは貴方の存在だけ」
暑い手が、彼の頬に触れる。
その細い手を握り締め、小さく頷く。
「貴方が何者でも構わないけれどそれは、どこか、私の血に近く思える」
「僕は精霊の加護の子だよ?」
「……そうね、私には精霊の加護を持つ血は流れていない。けれど、でも」
一呼吸。喉に冷たい風が流れる。
「この世界で、貴方だけが私に近い」
そんな気がするの、と真っ直ぐに言ったオリヴィアを見つめるエルゼリオの瞳は、ひどく暖かな光を湛えていた。

昔々。ローエルンディアと言う名の小さな魔術国家で。
ライオット王がとある旅人に同じことを言ったと言う。精霊の間のみで語られる御伽話の、1つ。