10「名前なんて記号に過ぎない」


それから一月の時間が流れ。
「あーもうだめだ限界勘弁無理これ助けて見逃して」
オリヴィアの研究室にやってきたコートニーがその扉を開けようとした瞬間、その直前に開いた扉からそう言って倒れ出て来たのはリュミナス。
「……何してるの」
「あああコニー助けてあの鬼が俺を殺す気だあ!」
「鬼って誰のことよ!」
「いやでも確かにちょっとここ最近ヴィアってば怒りっぽくて怖いかな」
「エルまで何よ! だってちっとも上手くいかないんだものもう誰よこんな術式作ったの!」
「自分だろ自分」
「違うわよ元はといえば貴方の字が汚いから!」
「何おう! あんな走り書きのメモがこんな時代まで残ってるなんて誰が思うか!」
普段自分をこの部屋に近づけないのは研究者が4人もそろって大乱闘を起こしているからなのだなとその光景を目の当たりにしてコートニーはしみじみと考えるに至った。
そして大人しく部屋に戻ろうと扉を閉めようとするが、リュミナスが挟まって閉まらない。
「いでででで! 痛い痛い痛い!」
「あーごめん」
「声に感情がないよコートニーちゃあん…」
「やっぱり一ヶ月もそりゃ放っておけばさ、愛想も尽かされるよ」
「放っておかざるを得ない状況にしたのはお前らだろうが!」
「別にリュミナスに放って置かれようが何でもどうでもいいんですけど流石に一ヶ月も何もしないのは暇っていうか申し訳ないって言うか」
だから来たんですけどお邪魔ですかねとさらに扉を閉めようとするコートニーの手を止めて、リュミナスは溜息を吐く。
「別にコニーが申し訳なく思う必要はないと思うんだけどっていうか原因はヴィアなんだから」
流石にこれには反論はなかった。
「でも、やっぱり悔しい。1人だけ何もしないなんて、なんか、やだな、と、思って」
この一ヶ月。
魔術の心得のある4人はずっとこの研究室で。
時たま抜け出して、リュミナスの部屋で生活をしているコートニーの元へ来るのは元来が魂のメルメか、魔術に対する抵抗の弱いエルゼリオ。
「どうして抵抗が弱いのに、魔術を使っているの? 媒体に、なれるの?」
他にもたくさんのことを聞く時間はあった。
「僕はね、そういう【血】を持ってるんだ。魔術を使う側でなく、魔術に使われる側として最適な。見ただろう、君も。宵闇の女王の加護を持つ人間の力を」
鈍く光る、左右で色の違う瞳はその証。
「精霊は【媒体】としてかなり使えるからね、精霊女王の加護持ちの人間ならほぼ同レベルの【媒体】能力があるってこと」
「じゃあどうして魔術を? ばれたら【媒体】にされるかもしれないのに?」
その答えはくれなかったけれど、コートニーには察しはついていた。
(オリヴィアの側にいたかったのよね)
少し、羨ましかった。
好きな人の側にいられる2人が。
(いやそれはどうでもいいとして)
とにかく何かがしたかった。
森にいた時だってどちらかといえば率先して皆を連れまわしていたコートニーなのに、ここでは置いてけぼりで。
「何か、アタシにも出来ることはありませんか」
真っ直ぐと決意をしたコートニーの瞳を見つめて、答えたのはメルメ。
「よし、じゃあちょっと探し物を頼めるかい」
「探し物、ですか」
「ああ、ちょっと厄介なんだけどね。確か宝石」
「確かって……」
「えーとね、知ってるかな。【セフィロスシリーズ】ってんだけど」
軽くメルメの口から出た言葉に動揺が走る。勿論、リュミナス、オリヴィア、エルゼリオの三人にのみ。
けれどこの場に他の人物がいたなら彼らにも走っただろう。
ここにいるべき者には常識といえば常識、けれど伝説に語られるその名前。
「ま、まさかそれも貴方が作ったなんて言わないわよね…?」
「うん? ああ、流石にそれはねぇよ。オレじゃなくて、フラムが」
「知り合いかよ!」
「や、手伝ったんだけど」
「やっぱお前か!」
話が前に進まない。そう判断したコートニーは、メルメの言葉だけを受けることにした。
「で、その宝石? を、探せばいいのね? どこにあるの?」
「それがわかんないから探して欲しいっていってんだってば」
「…当てもないの?」
「やーさっぱり。宝石かどうかも怪しいな。加工されてるかもしらんし」
埒が明かない。
けれど一ヶ月で何の解決策も見られない魔術師4人の集まりを見ていると、どれだけ時間がかかってもよいとも思えたので2つ返事で引き受けることにした。
「えええ本気で?」
リュミナスの言葉は軽く流して。
メルメの言葉を、頼りに。
「大丈夫だよ犬の耳を持つ乙女。君の嗅覚は伊達じゃあない。なんと言っても星の加護がある。大丈夫、君の信じるように動けばいいさ」
時に彼の言葉は、ひどく温かいと知ったのは、この一月の間。
「探すのはセフィロスシリーズナンバ3【ビナー】。精霊エロヒィムの意思を閉じ込めたモノ。彼女の助力が必要だ」
「ビナー……」
その脳に埋め込むように呟いたコートニーを見て、メルメは軽く笑う。
「大丈夫だよ、何も難しく考えないでいい。名前なんて記号に過ぎない。ただ君がそれと思うものを見つけてくればいい」
「…分かったわ」
大きく頷き、部屋を立ち去る彼女の背中に、メルメはもう一声、かける。
「出発は明日の夜がいい。新月だから星の加護を貰うには丁度いい」
コートニーからの返事はなかったけれど、彼女ならばメルメのアドバイスをおざなりにはしないだろうことをその部屋の誰もがわかっていた。
「そういうことなんで、君も準備始めたら?」
「え?」
「一緒に行きたいって全身で訴えてるよ」
「……いい、かな」
照れくさそうに後ろ頭を掻きながらそう尋ねるリュミナスに、3つの声が同時に答える。
「行って来い」
瞬間、椅子にかけてあったはずの赤いマントが翻る。
そして、部屋の中の人影は3つ。
「ていうか一ヶ月会えなくてダメダメだったのってむしろリュミだよね」
「むしろいるだけ邪魔って言うか」
「ま、これで選択肢も増えたことだし。オレらもこっち、がんばらねぇとな」
着てもいない上着の袖を捲る動作をし、メルメは部屋の中央の複雑な円陣の描かれたタペストリの上に座る。
オリヴィアは窓辺の机に向かい。
エルゼリオは廊下の窓に近い本棚の横にしつらえた簡易テーブルに。
「世紀の大発見まで、あとどれほどかね」
メルメの憎まれ口すら、加速の為のエネルギー。

冒険譚の前日は、いつもと変わらぬ日常と、伝説の名器の名前が描かれる。
御伽話というのは、結局のところそういうもの。