09「お前は求めるか?世界の変革を」


「いやはやまさかここに来てそんなことを問われようとは」
思いもしなかった、とおどけたように言う少年。
彼が伝説レベルの魔術師、メルメ・アリオットだなんて誰が信じよう。目の前にその姿を見る3人の魔術師すらそれを信じられない。
「でも本当に、オリヴィアはアタシに、術を、かけたのよ。犬の耳と、尻尾が生える術を」
対して信じているのかいないのか、とにかく平然と少年に話しかけるのはコートニー1人。
「……よくあの子は動揺しないでいられるね」
「いや多分元々メルメに関する知識がない上に今まで関わったことのない【魔術】をこんなに連続的に見せられて精神的な耐性が付いちゃったんじゃないかなと思うんだけど。俺は」
そう言いながら背後からコートニーを抱きかかえる形で手を回す。
瞬間、見慣れた耳が現れる。
「おお、確かに。発動条件が面白いな……興味深い。オリヴィア、と言ったな。お前か?」
「俺じゃない。あっち」
危うくオリヴィアと間違えられるところだったリュミナスは本人を指差して訂正する。
少年はそうか、とオリヴィアの前に立ち、その髪の色を見つめて目を細める。
「うん、綺麗な色だ。オレは好きだな、その色」
「……え」
「太陽の表情が好きだ。その一番胸を打つ色を持つお前も、オレは好きになれそうだ」
全く会話が成り立っていない。己のペースで話を進める少年に、傍らで見ていた女王は静かに笑う。
「錬命の、答えてやられよ。皆困っている」
「おお、そうか。そうだな。話し相手に出会えたのがあまりに久しくてな。ついつい口が止まらんのだわ」
けらけらと笑いながら出窓の枠に腰掛ける。
「うむ、結論から言えばこんな術式は知らん」
きっぱりと。
告げられた答えは少年の存在より遙かに衝撃で。
「そんな、だって、貴方が本当にアリオット師なら知っていないとおかしいわ! だって私、貴方の書き付けを元に復元したのよこの術は!」
「確かにオレはアリオットで、それは多分メルメ・アリオットその名を指しているのだろうし間違いはない。だけどこんな式を書いた覚えはないしこんな変換が現れる術は書いた記憶はない」
でも、とまだ反論を言い足りないのだろうオリヴィアを制し、少年は「呪文は」と短く一言。
「……リテェチセルスヘ イヤハー オヂ カムシネゥ モジィォチ ヤムプベ グマムヤ ウミ ラェコダカリゥドュ ウズ」
戸惑いがちに、まるで詩の暗唱をするように言葉を紡ぐ。
(しまった、ヴィアの指輪…!)
【陣】と【媒体】を兼ねたその存在に気付くき、エルゼリオがオリヴィアの指に視線を走らせたが、そこには指輪はなく。
「ふぅむ…【コーザッコの解】か…」
窓辺の少年が、青い琥珀の指輪を覗き込んでいた。
ほっと胸を撫で下ろしたエルゼリオに、少年の声が刺さる。
「そこの銀の。火を起こす術式は何パターンある」
「火、ですか」
「炎ではなく」
「30年前に新たな術式が見つけられ、今使用されているのはその以前のものと新しいものの2つ。仮定として起こせるだろう式が3つ、だれも立証はまだしていません」
「今使われているものの【陣】は」
「東西の楕円に北トライアングル、トライアングル内に【ルードリィアの式】。頂点にそれぞれ【ガウスの解】。東西に【エンディアの紋】を対称に」
すらすらと答えるその通りに、少年の足元が見る間に白墨のラインで埋められる。
東に描いた【エンディアの紋】の最後の一筆を書き上げると、少年は顔を上げてエルゼリオを見つめ返す。
「この前に使われていたのは【ガウスの解】の代わりに【グルノリエの解】と、楕円でなく円が4重、トライアングルは2つの陣じゃあなかったか」
コートニーにはさっぱり分からないやり取りだったが他の3人は静かに、微かに頷いた。
女王は静かに見つめるだけ。
すべてを知っているような瞳で、興味なさげに、見つめるだけ。
「少なくともオレは今使われてる術式と同じものを三千年前に使った覚えがある」
「さん…!?」
「その前はもっと、な。一応魔術の術式にも流行り廃りってのがあってさ。流行りっつうか今主として使われてる術式を元にオレの変換術式を考え直すと、オレの思い描いたのと違う術になっちまったんだろうな。それがアノ子」
視線はくれず、人差し指とそこにはめられた青色の琥珀がコートニーを捕らえる。
「…私は、間違っていたの?」
「やーまちがっちゃいねえだろ。事実術は上手くいったんだし。ただ、意図していたものとずれちまったってこと」
そして、とようやく視線をくれるとまるでその口元は狩りの対象を見つけたハンターの様に楽しげに笑っていて。
「そして、その解き方は万単位の年月で術式に関わってるオレでも知らないってこと」
再び、緊張と衝撃。
「そんな…! じゃあ何のために貴方を…」
「さあ。どしてオレを呼んだのさ、女王」
「主の専門ではないか。錬命の。元々この手の【魔術】とやらは主が作り出したのだろう」
それに他に誰を呼べと。そう呟いて、女王はさも暇をもてあましたかのように髪をかきあげると、もう一言、繋げた。
「そろそろ我は戻ってもよいかの。これ以上の関わりは王に叱咤されるわ」
言うと、誰の許しも得ないうちに夜の風が窓の外へと吹き零れていった。
「くそぅ。逃げよって。ここぞという時に逃げるんだ、精霊ってのは当てにならんな」
少年―メルメはそう吐き捨てると、髪を乱暴に掻き毟り、オリヴィアに向き合う。
そして、言った。とても真っ直ぐな声で。
「お前は求めるか? 世界の変革を」
その顔はとても純粋な好奇心に満ち溢れていて、オリヴィアは一瞬、その言葉の意を捉えるのに難儀した。
否、一瞬ではなく。
「どういう、こと…?」
「お前の才能はかなり貴重と思う。この術式の発見がその証拠だ。きっとお前なら世界を変えるほどの大きな変革を起こせる。勿論、魔術という分野において」
「だから、今はそれどころじゃなく…!」
「なんにせよ、あの娘にかけた術を解く方法なり対抗策なりを見つければそれは遙かに大きな変革だ」
メルメの瞳はあまりに真っ直ぐで。
オリヴィアは、その言葉の全ての意味を理解するより前に、その首を縦に動かしていた。

過去と現在。それぞれの最高レベルの魔術の使い手が手を組んだ瞬間。