06「君は夢を見過ぎたんだ」


「君は夢を見過ぎたんだよ、ヴィア。ほんの少しだけ、ね」
小さな部屋のはず。その中に四人もの人間種が入っても狭いと思わせないこの宿の構造をコートニーは考えないようにしていた。
目の前にはベッドに横たわる細身の青年。見覚えのある闇色の髪はけれど以前に見たよりもずっと長く、本人の身長よりも伸びているようだった。
左の金の瞳は今は包帯に巻かれていて見えない。
「……それにしてはまた完璧な公式を見つけたね……」
「それでも完璧じゃなかったんだわ。配列か、解か、それとも……」
「【媒体】か、ね…」
リュミナスは何枚もの羊皮紙に目を通している。コートニーの位置からでは一体何が書いてあるのか分からない。
おそらく書いてある文字や図形が見えたところで彼女には何のことかも分からないだろうが。
「エルの言うとおりだ。ヴィア。お前は確かに賢い。先見の才も魔術の才もある。けれど古代魔術に夢を見過ぎていたとしか思えない」
「魔術はそこまで完璧じゃない。もしもそんなに完璧な術を使える者がいればそれは魔術師じゃない」
リュミナスとエルゼリオの声が、重なる。
「それは、神だ」
ヴィア―オリヴィアは、二人の声を聞くずっと前から俯いたまま、窓辺の椅子に座っていた。時々窓から吹き込む風が彼女の赤毛を揺らしている。
静寂。
「ええ、と、ちょっと、聞いてもいいですか」
「なんだい、コートニー」
「さっきから、公式、とか、配列、とか、解、とか、媒体、とか。よくわかんないんだけど、魔術ってそんなにややこしいの?」
アタシがかけられた時はそんなに難しそうじゃなかったんだけどと素直に伝えると、横たわったままの青年がやわらかい笑顔で答えた。
「そうだね、じゃあ簡単に説明しようか。魔術の発動には三つの要素がまず必要なんだ」
「みっつのようそ」
「そう、力を取り出し、形にし、そして放出する。この三段階を可能にするのが【言霊】、【媒体】、そして【陣】。この三つの要素が魔術の発動には不可欠」
「オリヴィアがアタシに術をかけたときも、その、…三つの要素、あったの?」
「ああもちろん。あの時の媒体はヴィアの指輪の宝石。宝石はよく媒体として使われるポピュラーなものだよ。それから陣も、指輪に刻まれていた。だからその陣を宙になぞるだけで発動条件を満たしていたんだ。後はそれに言霊を乗せるだけ」
「……んと、よくわからないのだけど、その三つがあれば、だれでも術を使えるの?」
「そうだね、その三つを発動させる術に合わせて正確に組み合わせれば誰でも。だけどその組み合わせ方を正しく学べるのは魔術師のみ」
だから魔術師以外は魔術を使えないんだと答えを終わらせる。
「それじゃあ、オリヴィアは何をしようとしていたの? 組み合わせは、正しくなかったの?」
今度の問いに答えたのは厳しい顔のままのリュミナス。
「2つ目の質問には今は答えられない。なぜならその答えを今答えられる奴は人間種にもそれ以外にも、…神くらいしか、いないから」
「どうして?」
「魔術には昔、対戦前時代に絶滅した【古代魔術】というものがあって、その全てを記された資料は何一つ残っていないんだ。断片的に残された資料からその存在だけは確認できているんだけどね。どういったもので、どういう条件を満たせば発動するのかも分からない」
「オリヴィアはそれを、発動させようとしたの?」
「ああ。ヴィアは昔から頭がよくて普通なら早くて8年かかるところを5年で自分の研究室を持てた。そこで古代魔術の研究を始めたんだ。世界中に数多くいる古代魔術の研究者と同じように」
「それじゃあ古代魔術っていうの、そろそろわかってるんじゃないの?」
「いや全然。奇跡的に手がかりがつかめてもその殆どは間違っている。今まで解明された古代魔術は1つだけ」
「その1つって?」
「【精霊召喚】。この世に存在する精霊を召喚する公式は解明されたけれどそんなに高位の精霊を呼べるものでもなし、特に役立つものでもなかった」
「それでも大進歩だったわ」
オリヴィアが口を挟む。
「だから私もできると思った。そして見つけたはずだったの。今度こそ」
「オリヴィアは、どんな古代魔術を探していたの?」
「……リュミに聞いていないの?」
オリヴィアの眉がほんの少しだけ寄る。
「え? 俺? いや知らないっていうか何でそんな俺」
「彼女にかけた術の効果を見ればすぐに分かると思ったのに」
「だってコニー見せてくれなかったんだもん」
また、ぴくりと身を硬くする。
帽子をぎゅっと押さえるコートニーの姿を見てオリヴィアはふむ、と軽く息を吐いてそして言い放った。
「【生物変換】よ」
風が、窓から入り込んだ。
さっきのそれより強い風は、コートニーの帽子を押さえる手もむなしく剥ぎ取った。
「…………コートニー……」

犬の耳を生やした少女と、後に【奇跡の短剣の主】とあだ名される青年の、本当の冒険の始まりが、ここに。