02「お前が迷う時、俺を呼べ」


かつて魔術が世界を統べる道具となった時代があった。
現在【アロイッソ征服時代】と呼ばれる時期がそれにあたる。
魔術師を兵として使うことを最初に行ったアロイッソ王が世界のほぼ8割をその支配下に置いたという時代。
そのアロイッソ城跡は今、ロロット・リィゼと名を変え、学術都市として世界中から様々な種族の者が集まっている。
「ええとそれからなんだっけ人間種以外で教師の地位を与えられたのはアリイェダ族の男、だっけ」
「違うよ、惜しいけど。ルゥググの民だよ」
「どっちも猿じゃないかややこしい!」
「リュミ、後ろにプロフェッサ・ミロが」
「え!?」
「冗談よ」
その学術都市の一角、魔術部が開かれている城の中、一番小さな教室で教科書を広げる3つの人影があった。
「大体【都市史】なんて学んだって仕方がないと思わないか? こんなこと知ったところで魔術の腕が上がるわけじゃなし」
「アロイッソ史は別に学ぶしねぇ」
「ぶつくさ言わないの。選択したのは貴方よ、リュミ。それにエル」
「だってリュミとヴィアが受けるって言うから」
「だってエルとヴィアが……」
「人のせいにするなんて、2人とも男らしくないわよ」
まったく、と溜息を一つ吐きながら、その場に1人の少女が簡単な、けれどとても凝った装丁の本を開く。
「ちなみに最初の人間種外の教師なんて出ないわよ。人間種外の事に関しては【レヴィノア族の改革】が一番大きい問題らしいわ」
「えええヴィア、どうしてそんなこと……!」
「馬鹿ねえ、私を誰だと思ってるの?」
少女の手元に、白い紙で出来た雀が舞い降りた。

「プロフェッサ・ミロは絶対にヴィアを贔屓してると思う。あの猿め。ちょっとヴィアが美人で勉強が出来るからって」
「褒め言葉として受け取っておくわ。だけど貴方暗唱のテストで674行目のエーの発音がおかしかったのだものあれじゃあ貰えてギリギリってとこね」
「リュミがギリギリなら僕は確実に落ちてるなあ」
青空の下、散らばった本を片付けるでもなく思い思いに座り、寝転がりして3人はいた。
「あ、そうだ。ミセス・アリィからクッキーが届いていたんだ。持ってくるよ。お茶にしよう」
「テストが終わってバンザーイのティーパーティってのもいいね」
リュミが寝転んだまま万歳、と両手を挙げる仕草を見て軽く笑ってから「じゃあ待ってて」とエルは寮の方へと走っていった。
その後姿を見送り、そのまま視線をリュミに移動させたヴィアも、やはり軽く笑う。
「リュミってばだらけきってるわねぇ」
「うるさい俺は元々鍛冶部だったんだから頭使うのは慣れてないんだ」
「でも鍛冶仕事より魔術に興味を持った、と」
「まあ才能はないから教養程度の基本魔術だけだけどさ。世界を作り出す力の一端に触れてると思うとドキドキするんだ。ヴィアは、しないか?」
「私? 私は……そうね、うん、ドキドキ、よりも……ゾクゾクしちゃう。まだ魔術には可能性がある。埋もれてしまった古代魔術を復活させるのも、全く新しい魔術の律を見つけるのも好きなように選んで、実行できる。そう思うと、興奮しちゃうわ」
リュミはじっとヴィアの赤い髪を見つめる。ゆるくウェーブを描くその髪は紅というより緋。その隙間から見える青空がやけに似合わない。
「……なあ、ヴィア」
「なあに?」
「本当にお前、古代魔術の研究を本格的に進めるのか?」
「……そうよ。未発見の魔術律を見つけるのも興味はあるけど、古代魔術の謎を解明する方が私すごくやりたいの」
「でも古代魔術って危険だって言われてる。だから今に伝わってないんだって。俺、ヴィアに危ない目に遭われるのは嫌だ」
瞳が、合う。
目じりに引かれたアイラインに似た深いブルー。
その奥はまるで海の底。姿が知れない。そう、思う。
「なんだか私、今告白受けてた?」
ふ、と笑う。それは照れたような笑みではなく、いつもの、軽くあしらう笑い方。
「まっさか。単位を10点くらいくれたら心の底からプロポーズしたいところだけどな」
「あはは、こっちは願いさげだわ。点数を上げるのもプロポーズされるのも」
笑う。いつもの、空気に戻る。
だけどその、一瞬だけ、前に。
「なあ、ヴィア」
「今度はなあに?」
「お前がエルを好きでも構わないし、エルもあれで見た目より頼りになるのは俺も知ってる。だけど約束して欲しい。最後の最後でいい、エルにも話せないことが万が一にも起こった時」
笑顔を消す。
まっすぐな視線で。まっすぐな表情で。
「お前が迷う時、俺を呼べ」

オリヴィアは頷かず、その数年後にロロット・リィゼから姿を消すことになる。
エルゼリオという名の彼女の恋人と一緒に。
これがもう一つの、語られないオープニング。