松川さんと富山のみなさん

「ほったら。もうここでえっちゃよ」
 金沢駅の鼓門の下。駅に向かう小柄な人影が、地の物ではない言葉で話す。視線の先には一組の男女。
「そう? 大丈夫なん? 気をつけて帰りまっしね」
 女の方が心配そうに言う。隣に立つ青年も、あまり表情に出しはしないが同じように心配をしているのだろうか。まるで子供扱いだ、と小柄な少年の姿をした松川は笑う。
「なぁんも心配せんでも、こんな形でも子供やないんやし。失礼なやっちゃねぇ」
「それは、そうなんやけど」
 ひとつに結った美しい髪を風に遊ばせながらも、女は不安げな表情を隠せない。わかってはいるのだが、やはり子供の姿をしているのは事実で、それが何より意味なく心配させる要因なのだ。
「昔と違て、電車を使えば一時間やそこらで帰れるんやし。またすぐ来っちゃ」
 じゃ、と返事を待たずに駅の方へ走りだす。
「浅野も犀川も、元気でなー。手取にも、よろしくー」
 両手の紙袋をガサガサと音を立て、そうしてひとり賑やかに。松川は、本来在るべき故郷――富山への帰路についた。

◆◆◆

――市内に入る前に、小矢部と庄川に土産を渡しに寄って行こう。
 そう考えた松川は、高岡駅で途中下車。
(多分、いつも通りならあっこにおっと思うがやけど)
 向かった先は、高岡の古城公園。緑に覆われた静かな場所。ここが好きなのは。
「あ、やっぱしおった」
「あら、松川ちゃん」
 どこか日本の風情を残す緑の木々の中、着流し姿の青年と、フリルとレースとリボンが特徴的な服に身を包んだ女性が並んでベンチに腰掛ける様子は、なんだか妙にしっくりくるのが少しだけ、不思議。
「二人してなんね。射水神社で縁結びでもしとったがけ」
「はっは。さ、笑えん冗談やちゃね」
 着流し姿の庄川がそう言いながら笑って。隣で小矢部もにこにこ笑っているけれど、一時は正しく夫婦であった二人だ。仲違をしたわけでもないから今も仲が良いけれど、その原因も解決も、全て長い年月を理由としているので実のところは松川にもよくわからない。
「ところでどしたがけ? なんか用があって来たんじゃないん」
 小矢部に言われ、「ああ、ほやった」と松川は紙袋を一つ差し出す。
「さっきまで金沢に行っとって、その土産やぜ」
「金沢に?」
 松川から紙袋を受け取り中をちらっと覗いた小矢部は「あ、俵屋の飴や」と嬉しそうに呟いた。
「小矢部の姐さん、確か好きやったねか」
「覚えとってくれとったがけ、あら嬉しいわぁ」
 もうひとつ、柴舟の包みを庄川に渡して小矢部は小さな飴の壷を大事そうに愛おしそうに抱きしめる。
「わしのは……また安上がったぜ」
「んでも庄川は柴舟が好きじゃなかったがけ」
「好きに決まっとんわいね」
 そういう割にぞんざいに、受け取った箱を横に置いて。
「ああ、そっか。百万石まつりか」
 ようやく思い至った、松川の目的。金沢で毎年行われる盛大な祭事。形や内容も少しずつ変わりながらも、近年ずっと行われる、金沢市民の楽しみだ。
「おいね。おらとこでもああいうがやりたいんやけど、なかなかむっかしーわ」
 毎年入れ替わり立ち替わり前田のお殿さまに名の知れた芸能人が扮し、それが賑わいに拍車をかけているようだ。富山でも同じような催しができたら街中が活気付くのだろうけれども。
「お殿様の格の違いやわ」
「……同じ前田さんなんやけどなー」
 初代には、敵わないのか。
「金沢の人はいい加減、マゲに刀な時代のプライドを捨ててもえっちゃよ……」
「はっは。無理やろなー」
 マゲに刀な時代、金沢と同じ加賀藩領にあった庄川が笑って言うのだ。もう、無理なのだろう。わかっていたことだけれども。

◆◆◆

 庄川と小矢部の二人と別れ、再び電車に揺られて。
(遠回りして、常願寺んとこ寄ってっかねー)
 そう決めて、富山駅から乗り継いで越中三郷。たどり着いたのは常願寺川公園。
「常願寺ー」
 松川に呼ばれて振り返ったのは、松川と同じか、少し年上に見えるくらいの少年。
「ジョーと呼べジョーと」
「ジョー・ガンジー乙!」
 いつものやり取りなのに、いつもいつも悔しそうにする常願寺。どう見たってジョーだなんて外国名が似合うはずのない純日本人顔なのになあと思いながらも、松川はまた「ん。土産」とまた一つ、紙袋を差し出す。
「なんけ。土産? お。中田のきんつばやねか。……が、ふたつ?」
 袋の中に全く同じ二つの包み。まさか同じものを二つももらえるとは思わない常願寺は不思議そうな視線を目の前の少年に戻す。
「おいね。ひとつ黒部にあげたってま」
「黒部って……自分で行かれよ」
「ややわいね遠い」
「俺かて遠いわ!」
 市内街中からほんの少し東に外れているだけで、黒部までの道のりとしては松川が動くのと常願寺が動くのとでそう変わりはないのに。
「冷たいこと言わんといてまー。常願寺のが黒部と仲いいねかー」
「さ、お前ら街中組が会いに行ったらんから、しゃーなし俺が行ったげとるだけやねか!」
「ジョーやっさしーい」
「ぐ……」
 一見不良に憧れているような、半端にやんちゃな少年といった風貌の常願寺は見かけによらずなのか見かけ通りなのか世話焼き体質で、ひとりいつも遠くて仲間外れになり気味の黒部を放っておけないらしい。
「……もっとお前らも黒部に構ってやればいいねかね」
「わかったっちゃよ。今度トロッコ乗って、温泉にでも行かんまいけ」
「絶対やぜ。黒部に言うとくちゃよ」
「わかったってばいね」
 そうやって強く念を押す姿を見ていると、寂しいのはけれどもしかしたら、黒部よりも常願寺の方ではないかと。松川はいつも思ってしまうのだ。多分、間違ってないだろうという確信と共に。

◆◆◆

「ただいま富山ー」
「おかえりなさい、松川さん」
 富山駅に降り立って。ほんの一晩やそこら見ないだけで懐かしい故郷に帰宅の声をかけると、すぐさま声が帰って来た。
「岩瀬に神通。なんね、迎えに来とったがけ」
 松川よりも少し幼く見える少女と、その後ろに気だるげに立つ猫背の青年。松川は少女の方に紙袋を渡すと、肩にかけていたドラムバッグを青年の方に放り渡した。
「……重い」
「うっさい。その荷物持っておれっちゃあっちゃこっちゃ行っとったがいぜ」
「あっちこっち、ですか」
「おいね。あ、小矢部の姐さんが岩瀬に、またお古でいかったら服送ってくれるって」
 小矢部の服の趣味は浅野に理解はしてもらえても貰ってくれないから、といつも岩瀬の元にお古が回ってくる。サイズは少し大きいが、日本人らしく黒髪が美しくて大人びた容姿の小矢部が着るよりも、岩瀬が着た方が似合っているので正しい落ち着き先だと松川は思う(もちろん本人には言えないけれど)
「わ、嬉しいです。小矢部の姐さんのお洋服、いつも可愛くて羨ましいから」
 本当に嬉しそうに。この誰よりも純朴な少女はいつだって穏やかな笑顔で、だから頑なで他人に心を許すことを拒絶した神通もが。
(この二人こそ、射水神社で縁結びでもして来らればいいがに)
 知らぬは本人達ばかり。そんなことを松川が考えているとも気付かずに、目の前の二人は片や笑顔のまま、片や文句を言いながら素直に荷物を持ち、この中で一番年長の松川にそれぞれ空いた手を差し出した。
「……? なんけ」
「手」
 神通の言葉はいつだって少ないけれど。
「繋ぎましょう」
 不足を補う岩瀬がいて。
「なんね、三人で手ぇ繋いだら、真ん中の僕が動きにくならいね」
 言いながらも、笑い返して素直に両手を二人に委ねて。
 三人、並んで。
「ほや、今度黒部に会いに行かんまいけ。常願寺も連れて。トロッコと温泉やぜ」
「あ、いいですねー。紅葉の時期とか、どうですか」
「常願寺も一緒ながけ。めんどくせぇな……」
 なんだかんだ言いながら、秋にはきっと同じように皆で手をつないで、今とは反対に駅に向かっているのだろう。それだけでなく、何度も、どこへでも。姿も形も関係も、いついつまでも、変わらずに。相変わらずの三人のまま。


 今日もどこか、富山の町には彼らが在る。
 一方で悠々と流れる川として。
 一方で、ごく普通の。人と共に生きる姿として。
 川である彼らももまた、生きているのだから。