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富岩と岩瀬・5〈終〉

「新しく生まれ変わりました、富岩運河です。まだまだ至らないところもありますが、えと、どうぞよろしくお願いします」
 松川と同じくらいの歳格好、幼さと人工故の整った美しさは見慣れたそれと全く同じなのに。
「今度の富岩はなんや初々しなあ」
 よろしくねえ、と松川の差し出す手に、「は、はい」と慌てて握手を返すその様子は、人間の、このくらいの年の少女そのもので。
(人間を癒すために、人により近うなったんか)
 ぼんやりそんな風に考えながら見ていた神通に、少女は恐る恐る近づくと、上目遣いで様子を窺うように消え入りそうな声をかけた。
「あ、あの……神通さん、ですよね。眠っている間も神通さんの流れる水音、聞いてました。すごく安心できて……きっと前のわたしもそうだったんだと思います。えと、たくさんご迷惑をおかけすると思いますが、頼りにさせてくださいね」
 えへへ、と小さく笑う姿に神通は心の中で思う。
(採用)

◆◆◆

 どうして桜というものはこれだけ並ぶといっそ迫力があるのだろう。さっきまであんばやしの刺さっていた串を雑に噛みながら人でごった返す七十二峰橋に立ち尽くす神通。
 春だ。平和な春だ。
「神通さん、ごめんなさいお待たせしまし、わっ」
 小走りでやってくるも人混みのなかで転びそうになる岩瀬を慌てて支える。
「……気ぃつけられよ」
「す、すみません……で、でもほら、唐揚げは無事です!」
 最近で言うところの『どや顔』でそんな風に買いに行っていた唐揚げのカップをずいと差し出す少女に、神通はふ、と小さく微笑んだ。
「そんなん自慢げに言われんなま」
 ほら、と唐揚げを奪うように取り上げ、空いた手を岩瀬に差し出す。きょとんとその掌を見つめていた岩瀬だったが、意を察すると少し顔を赤らめておずおずとその小さな手を繋いだ。
 ――あんたのこちゃ岩瀬でよかろ。そんな風に岩瀬の名前を付けたのは神通だった。松川や庄川、小矢部も富岩のままでいいのではと異を唱えたが、当の本人がその名前をすんなりと受け入れたため、生まれ変わった富岩は岩瀬と呼ばれるようになった。何も考えていないのか、それとも神通がそう名付けたからなのか。岩瀬が新しい名を了解した理由もわからないが、神通がわざわざ別の名を呼ぼうとする理由も皆わからなかった。富岩は富岩だと言っていたのではないか、松川がそう問い詰めても神通は「いいねか」と一言しか答えない。
 けれどもそれでよかったのかもしれない、と微笑ましい二人の姿を遠目に見ていた松川は思う。富岩も岩瀬も同じ富岩運河だけれど、富岩は富岩だし岩瀬は岩瀬。同じで違う。そんな矛盾なんて神通の大きな流れの前にはなんでもないことで、全部彼は受け入れるし彼自身が内包していることなのだ。
「おい松川、いつまでもそんなとこおって、どんだけ待たせる気ながいけ」
 まるで岩瀬に対してと全然違うトーンの話しぶり。ひどいなあと笑いながら、松川はゆっくりと二人に合流する。松川べりの桜は今が満開。何度も見てきた光景を、これからも何度も何年も、また見たい。また、見られる。
 彼らはずっと、ここにいるのだから。

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