卒業




 彼とは、もう三年目の付き合いになる。付き合いといっても交際しているとかそういう意味ではなく、ずっと同じクラスで、席もよく近くになった、そういう風に縁があり、それなりに異性のクラスメイトとしては比較的仲が良い。そういう意味での、付き合いだ。
 だけどななにとっては、それだけで済ませられるようなものではない。
 もうずっと、三年間の、片思い、だ。

なぁな! 明日終わったらご飯行こーよ! ゆっことなっちんも行くってさ!」
「わかった多分大丈夫。着替えてく?」
「うーん、どうしようかなー。もう明日で制服もおしまいじゃん? だったらこのままでもいっかなーって思ってるんだけど」
 卒業式、前日。2月に入り自由登校となった教室の中はすっかりと寂しくなっていたが、ななはほぼ毎日登校していた。大学も推薦で決まっていたし、特に学校の外でやることもない。形ばかりの課題をこなす為にどうせ半日しかないのだからと学校に通い続けていたが、理由は、もう一つ。
天海
 呼ばれて、振り返る。
「小金井。水戸部。どしたの」
 三年間、同じクラスだった彼ら。他にも何人かずっと同じクラス、という者はいたけれど、なんとなく席が近くなることも多く、不思議と仲良くなれた彼らとも、明日で、最後。
「これ先生のプレゼント代、お釣りだって川島から」
 クラス委員がまとめていた担任への贈り物。結局何になったのか知らぬまま、お釣り、と声をかけた小金井ではなく、水戸部の大きな手から130円が渡された。
「ラッキー、ジュース代できた」
 軽く言うと、水戸部がふっと笑うのが見えた。
(この笑顔も、見納めかあ)
 優しい控えめな笑顔。この顔が好きで、ずっと傍にいたいと思っていたのに。
「じゃあ明日ね」
「うん、明日な天海。気を付けてなー」
 手を振る姿を、振り切って。急ぐわけでもない帰り道、足早に、通り抜けて行った。



 初めて隣の席になった、一年の最初の席替え。「よろしくね」なんてドキドキしながら声をかけたけど、その頃はまだ本当に全然喋らないなんて思いもしなかったから、返事がないことに少しショックを受けた。
 だけどその内忘れ物をしたらさりげなくフォローしてくれたり、取り留めのない話にきちんと相槌を打って聞いてくれたり。そんな優しさに気が付いて、その隣の居心地の良さに慣れてしまって。
(ああ、これってもしかして)
 いつからか持っていたこの感情が恋心だと気付くのに随分と時間がかかってしまった。

 メールアドレスを交換したのは二年になってから。また同じクラスだ、と笑いかけると、やっぱり控えめな笑顔が返ってきたから「じゃあ折角だし」と多少強引に交換した。その日は携帯電話ごと、彼につながるメールアドレスを抱きしめて眠った。
 そして三年の夏休み。受験対策の補習授業の最終日、意を決して、告白を、した。
「……あたし水戸部が、好き。ずっと、好きだったの」
 だけど当たり前だけどいつまでたっても返事なんて返ってこなくて、見れば困ったように立ち尽くすばかりで。
(ああ、これは、ダメか)
 すぐに、わかった。だから、すぐに走って逃げて。ほんの少し期待したけど、追いかけても、来なかったから。

 ななの、恋は、そこで終わったのだ。

 あれからメールもしていない。夏休みが明けてすぐに告白をなかったことにするように、できるだけ普通に接した。いつも一緒にいる小金井も、特に接し方を変えてきたりはしなかったから、多分、彼にも言わないでいてくれたのだろう。
 ただ少しだけ、距離は、空いた。



 卒業式、当日。
なぁな!」
 わあ、と涙をハンドタオルで隠しつつも拭い切らないあざとさを見せながら駆け寄ってくる友人を迎え入れる。
「まこ、泣きすぎー! 名前呼ばれる前から泣いてたでしょう」
「だってだってえー」
 式が終わった後の浮き足立つこの雰囲気に飲まれきって、他のクラスの友人達も集まってくる。
「うわーまこマジ泣きだった!」
「うちらのとこまでまこの泣き声聞こえたし!」
「そういうゆっこだって目ぇ赤いー」
 きゃっきゃと騒いでいるが、誰も咎めない。周りも同じようにはしゃぐグループであふれかえっている。
「じゃあー、とりあえず、一旦帰る?」
「帰るー。荷物だけ置いてくるー」
 すっかりと何もかもさっぱりとしたような、この三年分の思い出すらも全部放り出した気分で彼女たちは次へ歩き出そうとして見えた。ななはそんな友人達の一方後ろをついて行きながら、なんだか一人だけ持っているものが重くて、前に進めないような感覚になる。
「ねえなぁな……あ」
「え」
 前を行く友人が振り返って声をかけようと、して。何かに気が付く。
(何?)
 ななが振り返るより先に、肩に。
(手、が)
 大きな、暖かな手。ななはこの手の持ち主を、知っている。
(昨日の、小銭)
 受け取ってしばらくは手の中に握りしめたまま、お守りにしようかとすら考えた。その、熱の、持ち主が。振り返らされ、見上げると、そこにいたのはやはり水戸部だった。
「あ、あー……じゃ、じゃあ、なぁな、あたし達、先、帰るから、また、後でね!」
「またメールするね!」
「じゃ、じゃあね!」
 何を察したのか、友人達はきゃーと黄色い声で叫びながらななから走って遠ざかって行った。その様子を見て、(違うのに……)とななは心の中で呟く。
(もう、振られてるから、……違うのに)
 ふ、と一つ息を吐いて、改めて水戸部に向かい合う。
「どしたの。小金井は? ひとり?」
 引き留めたということは彼の方から用があるはずで、しかし小金井がいないと正確な会話が成り立たないのに。
 しかも。
(なんか、怖い顔)
 いつもの穏やかで控えめな表情ではなく、なんだか難しい顔をしている。
「どしたの」
 もう一度、聞くと。
「え、ちょっ」
 ぐい、と腕を引っ張られ、校舎の方へ戻っていく。
「ちょ、ちょっと待っ、どこ、何、ちょっと……!」
 こんな乱暴な水戸部をななは見たことがない。
(初めて、見る)
 ななを振り向きもせずぐいぐいと力強く引っ張って、乱雑にスニーカーを脱ぎ散らかしたまま、内履きも鞄の中にしまい込んだから靴下のままで滑るように階段を上って。ようやく立ち止まったのは。
「……ここ……」
 人気のない、特別教室棟の、突き当り。そこは。
(やだな、なんか……思い出して恥ずかしくなる)
 夏休みに、ななが水戸部に告白したまさに、その場所。恥ずかしくなって、そして同時に悲しくなって、水戸部の真意を測れずに上ずった声をかける。
「こんなとこまで連れてきて、どしたの。ほんと、なあに? ……なんか、変だよ」
 笑顔を作って、でも、相手の顔は見られない。まだ日は高いのに、いつもなら遠くに聞こえる賑やかな声も、今日は全く聞こえない。目の前の相手は、もちろん、静かに立ち尽くしたまま。学校という場所に似合わない気まずい空気だけが足元に沈んでいる。
「……」
「……」
 これで、最後かもしれないのだ。最後になにか、と。相手も思ってくれたのだろうか。あの、夏の勇気の、叶わなかったけれどご褒美なのかもしれない。そう考えると、少しだけ気持ちが楽になった。
 だから。
「……ありがと」
 小さな声で、そう言うと、水戸部がはっと息をのむ音が聞こえた気がした。
「あたし、三年間、水戸部がいたから、普通に過ごすよりずっと楽しかったと思う。本当に。水戸部がいっぱい話聞いてくれて、優しくしてくれて。あたし何にもお返しできなかったし、最後に困らせちゃったけど、でも、本当、水戸部のおかげだった。すごく楽しかった。ありがとう」
 うまく言えないな、と顔を歪めると同時に涙がほろりと零れ落ちた。
「あ、あれ……」
 泣くつもりは全くなく、ただぽたぽたと涙が次々にこぼれていく。
「やだ、やだな、違うの。本当に、お礼、を」
 言いたくて。
 その言葉は、ななの手に触れた熱に溶けていった。
「……っ、手……」
 ななの手を、水戸部の大きな手が包んでいる。恥ずかしくなって見上げると、彼もまた、赤い顔で、ななを見下ろしていた。
(なんで)
 なんで、そんな顔をしてるの。
 じっと見つめ合う時間がどれ程たったろうか。ほんの一瞬だったかもしれない。瞬きをしている間に、水戸部の顔がななの耳元まで近付いた。
「みとっ……」
 熱い。息が、かかる。肩をすくめて逃げようとしたななの耳に入ってきた、のは。

(すき)

 まるで吐息のような声で。でも確かに、そう、言った。
「……っ!?」
 慌てて顔を離して相手の顔を見ると、真っ赤な顔で。難しい、表情で。でも、ひとつ目を伏せ呼吸を整えると、(あ、いつもの)優しい笑顔でななを、見る。顔はまだ、耳まで赤いままだけど。
 恥ずかしさが背中を下から撫でるようにやってきて、ななは、ぷいっと目をそらす。そして
「……いつから」
と小さな声で尋ねた。
「あの、夏休みの時から、気にしてくれたの?」
 無言。だが首を横に振る気配を感じる。
「……じゃあ、それよりも」
 前から? 驚いて水戸部を見ると、彼は照れたように小さく頷いた。
「じゃ、じゃあ! じゃあなんで!」
 あの時、返事をくれなかったのか。言葉じゃなくても、どうにだって答える術はあっただろうに。もしあの時、逃げずに答えを待っていたら。もしかしたら。
「あたしの、半年はなんだったのよ……」
 また涙が溢れる。乱暴にそれを拭っていると、優しい手が頬に触れ、そうっとななの目尻をなぞる。目を開けると、(ごめん)と言いたげな瞳がななを見下ろしていた。
(びっくりして、どうしていいか分からなかった)
(なにかの冗談か、夢じゃないかと思って)
(嬉しかった。でもすぐ逃げられて、その、答えを出さなかった一瞬で嫌われたんだと思ったんだ)
 彼が言いたいいろんな言葉を、その瞳は全部語っていた。どうして気付かなかったんだろう、とななは思う。水戸部はこんなに雄弁だったのに、自分はなぜ気付かなかったんだろう。
 ぽかんと目の前、初めてこんなに近付いた顔を見詰めていた瞳から、三度涙が溢れてきて水戸部は焦るが、ななの唇が小さく動いたのに気が付いて言葉を、待った。
「……もっと早く言えよバカ」
 残念ながら期待していたどんな言葉より辛辣で可愛いげのないものだったけれど、ななの言わんとする一番可愛らしい感情は、水戸部にきちんと伝わった。だからもう一度(ごめん)と目を伏せ、その瞼に唇を、落とした。


 今日で卒業する校舎。三年前には新しくて綺麗で、なにもかにもに胸を踊らせテンションも上がっていた。そして今、慣れきったそこから、立ち去る時。
 ななの右手に、水戸部の左手が優しく重なる。慣れないその体温に恥ずかしくなって相手の顔を見られないのはお互いに。
「……また」
 静寂を破るのはいつだってななの方。
「あとで、メール、する……」
 水戸部はうんと頷き、名残惜しそうに手を離す。急に右手が冷たくなった気がしてすがるように水戸部を見上げると、やっぱり(ごめん)と背後を指す。つられてなながそちらに視線をやる、と。
「おせえぞ水戸部!」
「!!!」
 数人の男子がこちらへ向かっていた。
「くっそマジかうまくやりやがって水戸部の癖に」
「仕方ないって。三年間拗らせてたのをやっとなんとかしたんだから」
「先輩おめでとうございます」
 わらわらと。水戸部の周りに群がる彼らはよく見ればバスケ部の面々。何が起こったのかとななが水戸部を見ると、やはり仲の良い仲間達と合流したことでほっとしたような表情になっている。そして一瞬。目が合うと。
「バスケ部でこの後ごはんとか早く言ってよ! もう! ていうかあたしだってまこ達とごはんだし! いいよ大丈夫だから! またメールするって、じゃあね!」
 まるで独り言を叫ぶように突然捲し立て走り去ったななの背中を見つめ、残された集団の大半は頭の中にはてなマークを乱舞させていた。
「なんだいきなり……」
「つーか挨拶なしかよ……」
 けれど一人だけ、水戸部を見て嬉しそうに笑った。
「よかったな水戸部。俺、デートにまでついて行かなきゃいけないかと心配だったけど、分かってくれてそうじゃん?」
 一番の理解者である小金井にそう言われ、水戸部は照れたように微笑んだ。


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